一分一秒を争う医療の現場。そこでは、医師や看護師たちが休む間もなく動き回る、過酷な毎日が続いています。こうした状況の改善を目的に、2024年6月に施行されたのが「医師の働き方改革」です。その実現手段として、電子カルテをはじめとするデジタルツールの活用、いわゆる「医療DX」に大きな期待が寄せられています。しかし、多額の導入コストや現場の運用負荷といった医療業界特有の課題が、多くの病院の足取りを重くしているのも事実です。
こうした「理想と現実のギャップ」を、東香里病院はどう乗り越えたのか。1億円規模のシステム刷新を前に、あえて「中古端末レンタル」という選択で、200台のiPhone個人貸与を完遂した背景に迫ります。今回は、本取り組み推進の立役者である情報企画室 主任 田場 盛隆 氏と、現場の視点を持つ同部署専従の臨床工学技士 角屋 智美 氏にお話を伺いました。
目次
- “患者さんのために”を原動力に地域医療を支え続ける東香里病院の取り組み
- 足踏みをしがちな医療DXを加速させた院長直轄の体制と推進力
- 「1人1台」の理想を揺るがすiPhone 200台導入の調達コスト
- 「スマホは購入するもの」という常識を覆した“中古レンタル”
- 「受け入れるDX」から「自ら考えるDX」への進化
“患者さんのために”を原動力に地域医療を支え続ける東香里病院の取り組み
1954年に大阪府枚方市で創設され、長年にわたり地域に根ざした医療を提供している東香里病院。2017年には東香里第二病院を建設し、精神科医療や認知症治療など、時代のニーズに応じた医療体制を拡充してきました。
「当院の大きな特色は、精神科のケアを行いながら透析治療も同時に受けられる体制を整えていることです。透析は3〜4時間ベッドの上で安静を保つ必要があるため、精神疾患を抱える患者さんにとっては肉体的にも精神的にも大きな負担になります。関西エリアでもこの両方のケアを同時に提供できる場所はそれほど多くはありません。そのため、遠方から頼ってこられる患者さんも少なくないんです」
そう語るのは、情報企画室 主任の田場 盛隆 氏(以下、田場氏)。時代の移り変わりとともに診療科を広げ、今の複合的なスタイルへと歩んできた同院。その根底には、常に「患者さんのために何ができるか」を問い続ける、開院当初から変わらぬ姿勢がありました。
こうした想いを、実際の現場で形にしているのが、現在進めている医療DXです。田場氏は次のように続けます。
「私自身、働く中で“患者さんのために”という理念が強く根づいている病院だと感じています。だからこそ、患者さんに寄り添う時間を、1秒でも長くつくりたい。そのためには、スタッフがわざわざナースステーションに戻らなくても、その場でパッと情報を得られる環境がどうしても必要でした。現在は、医師や看護師などの医療資格職全員にiPhoneを『1人1台』個人貸与しています。どこにいても電子カルテを確認でき、情報共有のスピードを上げる。スマホは今や、質の高い医療を提供するための『当たり前の道具』になっています」
足踏みをしがちな医療DXを加速させた院長直轄の体制と推進力
今でこそ「当たり前の道具」としてスマホを使いこなす東香里病院ですが、医療業界全体を見渡すと、その歩みは決してスムーズなものではありません。田場氏は、医療業界でDXが進みにくい理由についてこう分析します。
「医療DXの成果、つまり『業務効率化』は数字で見えにくく、導入後も保守費用などのコストがかかり続けます。多くの病院ではこれを長期的な投資ではなく『単なるコスト増』と捉えてしまい、導入に慎重になるケースが多いのが現実です。当院がこのハードルを乗り越えられたのは、現院長の三上(聡司氏)が就任した2011年から、10年以上にわたって地道な積み重ねを続けてきたからこそです」
当時、院内の患者情報はまだ紙のカルテで管理されていました。しかし、大学病院から戻ってきた三上院長はその光景を見て「これではいけない」と直感したといいます。
「効率化によって生まれた時間を、本来の診察や患者さんへのサービスに充てるのが目的でした。すぐに電子カルテの導入や保守管理を担う『情報企画室』が新設され、私もそこへ異動することになりました」
当時、この規模の病院で電子カルテを導入する病院はまだ珍しく、まさに手探りでのスタート。情報企画室を「院長直属」の組織としたことで、意思決定のスピードを高める体制が整えられました。
「院長直下であれば、検討プロセスを大幅に簡略化できます。三上院長自身が非常にITに理解があることも、推進の大きな後押しになりました。しかし、最終決定には理事会での承認が必要です。電子カルテ導入の費用を提示すると『最新の医療機器の購入が優先では?』という意見が出る可能性もあります。理事会に納得してもらうには、感情論ではなく、導入後のメリットを裏付ける十分な根拠と、納得感のある資料を示す必要がありました」
「1人1台」の理想を揺るがすiPhone 200台導入の調達コスト
その後も、電子カルテの運用やシステム更新に関わってきた田場氏。これまでを振り返り「まさか自分が病院のシステムを組むようになるとは思わなかった」と当時を振り返りながらも、その表情には着実に歩みを進めてきた自負がうかがえます。
そんな同院にとって、大きな転機となったのが最新のモバイル電子カルテシステムの導入でした。
「三上院長から新しい電子カルテシステムの導入を提案されたんです。2023年に院長が参加した理事長・院長会で勧められたのをきっかけに、当院でも次世代の医療環境を作るためのプロジェクトがスタートしました」
導入が決まったモバイルアプリで利用できる新しい電子カルテシステムは、端末上でカルテの閲覧ができるだけでなく、処置の実施登録や写真撮影による画像登録、さらにはスタッフ間のチャット機能まで備えた、現場の機動力を劇的に高める画期的なツールでした。
「さっそく導入コストを試算してみたところ、システム構築から端末調達まで、総額で約1億円もの費用がかかることがわかりました。院長の『現場のために最高の環境を』という希望をすべて形にした結果だったのですが、さすがに院長からも『高すぎる!』と一喝されまして……(苦笑)。プロジェクトの根幹は維持しながら、コストの見直しがはじまりました」
システム構築やツール導入費の精査を進めるなかで、最大のネックになったのが、『スマートフォンの調達コスト』でした。今回導入するモバイル電子カルテはiOS専用アプリのため、端末はiPhone一択。東香里病院が目指したのは、医師や看護師をはじめとする、すべての医療資格職への『個人貸与』。そのために、実に200台ものiPhoneを揃える必要がありました。
「スタッフが、必要な場所とタイミングで電子カルテを閲覧できる環境を作るには、個人貸与は譲れない条件でした。しかし、200台すべてを新品で揃えようとすると、当時の試算で約1,460万円もの費用がかかります。理想のシステムを動かすための『土台』を準備するだけで、これほど予算が膨らんでしまうのか……と、当時は途方に暮れました」
「スマホは購入するもの」という常識を覆した“中古レンタル”
この予算面のハードルを前に、田場氏は持ち前の情報収集力を活かしてあらゆる可能性を模索しました。
「普段から参加しているユーザー会などのネットワークを通じて他院の状況を調べてみると、中古端末を購入したり、レンタルサービスを利用したりと、各病院がコストを抑えるために試行錯誤している実態が見えてきました。そこで私自身も必死にリサーチを重ねる中で、『中古端末のレンタル』という選択肢にたどり着いたのです」
検討の結果、田場氏がたどり着いたのは、「所有」するよりも、レンタルで「賢く使いこなす」という道でした。
「たとえ新品を端末購入したとしても、スマートフォンのバッテリーは数年で劣化しますし、故障時は修理期間中に使えなくなるリスクもあります。一方、中古端末のレンタルであれば、200台を3年間借りた場合でも費用は約504万円。購入と比較して、約956万円ものコストカットが可能になったのです。この浮いた予算を次回のレンタル更新費用に回せる点も、経営的な視点では非常に大きな魅力でした」
また、コスト面だけでなく、端末の故障やバッテリー交換といった「不測の事態に対して柔軟に対応できるのもレンタルのメリットだった」とのこと。
「理事会への報告時には『中古端末で業務に支障はないのか?』という慎重な意見もありました。しかし、新品購入との圧倒的な費用対効果の差、そして万全の保守体制を丁寧に説明することで、最終的に理事会の理解も深まり、無事承認を得ることができました」
田場氏の判断は“スマホは購入するもの”という既成概念を覆す、大きなきっかけとなりました。
「受け入れるDX」から「自ら考えるDX」への進化
2024年の運用開始から1年弱、現場には目に見える形での変化が表れています。
「患者さんの投薬内容や検査結果、ご家族の構成などをその場で即座に確認できるようになりました。確認のたびにナースステーションへ戻っていた紙カルテ時代に比べると、業務効率は大きく向上しています。また、アプリ内のチャット機能のおかげで、情報共有が定着し伝達ミスが激減しました。今では現場に欠かせないツールとして多くのスタッフに重宝されています」
さらに、利便性はこれだけに留まりません。自社開発したWEBデータベースを活用し、会議資料や研修動画、転院相談の記録などを集約。iPhone 200台という「土台」があるからこそ、情報共有スピードも劇的に加速しました。
「資料のペーパーレス化はもちろん、研修動画もスマホ1台で完結できるようになりました。以前のようにわざわざPCの前に行かなくても、スキマ時間で視聴できるため、受講率は大幅にアップしています。何より、場所を選ばず、必要なときにパッと情報にアクセスできる。この『いつでもどこでも』という環境が、現場のストレスを減らし、病院全体の動きをスムーズにしてくれていると感じています」
中でも現場で喜ばれているのが、会議資料のデジタル化です。
「紙で配布していた頃は『字が小さくて読みにくい』という声もありましたし、資料を綴じたファイルが山積みになり、管理も限界でした。その点、スマホなら自由にズームして読めます。ちなみに理事会では『PDFならフルカラーにしても紙代もインク代もかかりません。使い放題です!』とアピールしたところ、すぐに承認されました。DX推進の予算で悩んでいる病院の担当者の方には、ぜひ使ってほしい口説き文句ですね(笑)」
業界に先駆けてDXを進めてきた田場氏。今でこそ「DX」という言葉が浸透していますが、これまでの道のりは平坦ではありませんでした。
「電子カルテを初めて導入した頃は『事務がラクをするために機械を入れるのか』『今のままでも問題ない』など、厳しい声もありました。それでも地道に改善を積み重ねてきた結果、今では『仕事がしやすくなった』と感謝の言葉をいただけるようになったんです。自分が導入してきたツールが、病院にとってなくてはならないインフラになっている。そう実感できることが、本当にうれしいですね」
2024年から情報企画室に加わった角屋氏は、日々の業務の中で「現場の意識が劇的に変わった」ことを肌で感じていると話します。
「最近では現場のスタッフから『このツールを使って、こんなことはできないか?』と、具体的なアイデアが寄せられるようになりました。自分たちが便利になるものを自発的に考えてくれるようになったのは、本当に大きな変化です。『DXを受け入れる』時代から、現場が主体となって『自ら考えて活用する』段階へ、進んでいると感じています」
大きな転換期を迎えている医療業界。変化を受け入れ、現場の課題を見直していくことが、さらなる飛躍につながります。
理想を掲げながらも、現実的なコストや運用のハードルを「知恵」で乗り越えてきた東香里病院。その歩みは、医療DXを志す多くの組織にとって、進むべき道を照らす大切なヒントを示しているのかもしれません。